Nohana Izumikawa
2015
「fragment」
パネル アクリル 鉛筆 コラージュ アルミ箔
2015
個人蔵
「弔い」
パネル キャンバス アクリル 鉛筆 色鉛筆
162cm × 130cm
2015
「記憶の中のビル街」
53cm × 33.3cm
パネル アクリル 鉛筆 色鉛筆
2015
個人蔵
記憶の中の街並−naha−
65cm × 91cm
パネル アクリル モデリングペースト 鉛筆 色鉛筆
2015
かつて王国だった時代の痕跡を残しつつ南の島の異国としての立ち振る舞いと、経済の発展と生活環境の向上を求めた結果の都市風景。
そこに住む人々にとっては日常の舞台であるがゆえに、土地の機能や利便性に思うところはあっても、私にとって何か特別な風景として意識することはなかった。
島を出て少し離れたところから見ると、南国調の異国として演出する際、ノイズとしてトリミングされているものが気になった。それは自らが感じていたオキナワイメージの中にある、何か物足りないような空白の部分であり、また他者にとって些細なものかもしれないけれど、そこにこそ日常のリアリティが存在している部分ではないかと思うようになった。
現在、那覇新都心として知られる「おもろまち」は、かつては「米軍牧港住宅地区」であり、1987年沖縄に全面返還が実現した場所である。私の記憶の中には既に米軍基地としての姿は無かったが、再開発の計画とともに、更地からビルがまるで生えてくるかのように増え、モノレールが通り、あっという間に今までの沖縄には無かった都会的な場所になった。それはほんの少し前まで基地だったことを忘れさせ、さらにその数十年前、この地域で激しい戦闘があった記憶すらも消されていくような、急激な変化であった。
街の表面から追い出された暗い歴史を、作品の中でもう一度画面に呼び戻し、都市的イメージに介入させる。どこかで見たような「グローバル化を目指す都市」に入り込んだ歴史の傷跡が、過去の延長線上に今があること、その歴史の層から立ち現れる生と死の気配を思い出させてくれる。
新都心之図
パネル キャンバス アクリル コラージュ アルミ箔 鉛筆 モデリングペースト
135cm × 54.5cm
2015
山形市市役所 所蔵
「彼女の家」
パネル キャンバス アクリル 鉛筆 色鉛筆50cm × 72.7cm
2015
「染」
パネル ジェッソ アクリル 鉛筆 色鉛筆
41cm × 31.8cm
2015
What’s your favorite flavor?
MDF材 アクリル コラージュ
右 94cm × 47cm 左 57cm × 50cm
2015
一部個人蔵
戦後沖縄に入ってきたアメリカの文化は今や沖縄のローカリティとして、他県にはない特色として語られ、イメージとして消費されることも少なくない。
アイスクリームもまた海の向こうからやってきて、立派な観光名物となった。
ハイビスカスが描かれている南国風味のキャッチーなアイスクリームはどろりと溶け、あっという間に過去の積層が露呈する。
作品を構成しているコラージュ部分の画像やマークは、沖縄、アメリカ、日本を記号的に指し示すイメージとして用いているが、どの「風味」を味わうかは鑑賞者に委ねられている。一見好まない風味を避けて食することが出来そうでも、気づかぬうちに、身体に、記憶の中に、混在したイメージをきっと摂取しているだろう。
鑑賞を通して呼び起こされる沖縄的イメージをアイスクリームの風味に例え、イメージを再認識するメタファーとして、成分を体に取り入れる行為を想起させる食材の形をモチーフにした作品。
「働く人 ―トックリヤシモドキ柄のかりゆしウェア―」
キャンバス アクリル 鉛筆
60.5cm × 50cm
2015
「ソテツ柄のシャツ」
キャンバス アクリル 鉛筆
72.6cm × 60.5cm
2015
衣服を選びまとうということは、たとえ本人にとってそれが無意識的な動作であれ、
自分が何者であるかということを外部に向けて発信している表現活動の一部と考えられる。
また、その服が商品化され、気に入った誰かに購入され、ある日その誰かが身につける。
典型的な流通の場面にも、その時代の社会や生活意識が表象されているのではないか。
衣服に描かれる、一見オシャレな装飾に過ぎない植物柄が、
もしかしたら「なにか」を象徴する機能をもちうるかもしれない。
植物のパターンや色彩、身体のフォルムを画面上で描く快楽と、
描かれたモチーフが暗示する、ある社会性を作品として提示する。